先日、祖母の米寿のお祝いで、久しぶりに実家の大阪に帰省。
私の実家は、千里ニュータウン。
1960年代から、日本最初の大規模ニュータウン開発として生まれた街だ。
一般的な故郷と呼べるような牧歌的な風景は広がっていないけど、
自分が30数年間生まれ育った街だから、新しい街であろうが
「故郷感」というものはしっかりと根付いている。
そんな私の原風景は、阪急電車の南千里駅。
その当時はなんとも思っていなかったけど、阪急電車の小豆色の車窓と
南千里駅周辺の建物や風景は、「故郷に帰ってきた」といつも実感させてくれた。
ただ、私が社会人になる頃から、南千里駅と実家までの一帯の大規模開発が
行われ、大型商業施設や大規模マンションがどんどんと立ち並び、
慣れ親しんだ風景があっという間に消えていった。
その南千里駅のシンボル的な建物「千里センタービル」が
日本建築界の巨匠 村野藤吾の設計であったことは社会人になってから知った。
リズム感があって、とっても素敵な建物だ(内観はレトロモダンで渋い)。
その村野建築さえも開発の波に飲まれて壊される危機にあると母から聞いたのは何年前だったか。
ネットで調べてみると、大阪大学の建築の先生が一生懸命に保存運動をしているようだったが、
このたび、その甲斐実らずに壊されることが正式に決まったようだ。。。
なんとも悲しい現実。壊すのは簡単だけど、壊れたらその風景は二度と戻ってこないのに。
壊れる前に一目見ようと訪ねてみた。

村野藤吾設計の千里センタービル
プラネタリウムを観に、ミニ四駆を買いに、郵便局でお金を下ろしにいった子供の頃の思い出。
今度帰省したら、楽しかった幼少期の記憶を呼び起こしてくれるきっかけはもうない。
「ここはお父さんが生まれ育った故郷だよ」子供にそう語り継ぐ手がかりも失うことになる。
唯一、高校時代に毎日通学で使っていた南千里駅は、当時のままの姿だった。
この駅舎さえ、いつ壊されてしまうのかと思うと、さらに悲しくなる。

私の原風景、阪急南千里駅
桃山台方面の住宅はまだ残っているものの、開発の波は一気に広まるだろう。

千里ニュータウン、桃山台方面
気がつけば、当時新築だった実家も、南千里地区の中では最も古いマンションになった。
時代の移り変わり。免れない現実。。。
建物が壊れるということは、風景を壊すだけではなく、人の記憶さえはぎとってしまう。
村野藤吾の出身地 唐津で、尊敬する建築家 藤森照信先生がそういってたことを思い出す。
自分の故郷のまちづくりに関わりたいと最近強く感じている。
自分のルーツがなくなってしまう前に。