Roots

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最近、「ホームページを拝見しました」ということで、
お問い合わせをいただくことが増えている。

FACEBOOKとも連動していないし、基本は名刺交換させていただいた
方にしかWEBのアドレスは伝えていないはずなのに、
わざわざ探してくれて連絡していただけるのは本当に嬉しい。
気軽なSNSとは違って、わざわざ探して連絡してくれるのだから
その分想いも伝わるし、どのお問合せメールにもしっかりと
想いが込められている。

しかも、「想いに共感しました」との連絡は涙が出るほどに嬉しい。
まちづくりや観光の仕事をしていると、常に「誰のために」「なんのために」
究極は「自分は一体、地域社会にとって何か価値あることをしているのか」と
不安にかられることも少なくない。

最近は、自分のしていることを説明する機会が増えていて、
「わかりやすく」伝えることが求められる。
民間の仕事をしている人にとっては、公共の仕事というものは結果が
見えにくくて非常にわかりにくい側面があるのだろう。
なかなか理解を得られないことも多い。

そんなときについつい「ホームページを見てください」なんて
言いたくなる時があるが、全く門外漢の人に対して直接言葉で理解を
してもらうことも今後重要になってくるんだろう。

私なりに考えるまちづくり。
それは、「一人でも多く、町のことを好きになり、住む人を増やす」
ことなのだ。以前唐津のフリーペーパーRoastを作るときにも考えたように、
10000人ではない100人の琴線に触れ、まちのことが大好きになり、
自発的に、主体的にまちに関わって行く人たちを増やしていくこと。

そのためには、あらゆる手段の中からその土地に合ったアプローチを選択
しなければならない。その実現に向けて重要なのが、地元に住んでいる方々。
私は言って見ればよそ者である。その町をずっと育てていくのは、
そこに住んでいる方々なのだから。
住んでいる人たちが気づかないことは、よそ者の私達が少しきっかけをつくり、
アイデアを提供して行く。当然先行して動かして行くことも必要になる。
でも最終的には、その土地の中で、私がいなくなっても想いを持ってまちを
育んで行く人たちが根付くことが結局はゴールなんだろうなと最近思う。
その人たちがいることが、結局はまちの価値をあげていくことなんだから。

そのためには当然ながらにアウトプットもこだわっていかなくてはならない。
デザイナー、建築家、ミュージシャン、不動産屋、商業者・・・
様々な専門家を多様に巻き込んでいくことで、話題も自然と広がって行く。
想いを共感し、協力してくれるブレインの方々がいてこそ、
ルーツの想いも達成する。

ホームページでお問い合わせいただいた方々と最近やりとりし、
お会いした方もいる。長い時間をかけてパートナーになって行ければ
嬉しいです。

1年前、ルーツを開業したときにお祝いをしてくれた、
今でも大切なパートナーのことを思い出しながら、
ふとそんなことを考えた。

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先日、高校時代の友人を訪ねて上海に行った。
これまでどうしても足が向かなかった中国だが、
自ら行かずして中国のことを語ることはできない。
良い機会だと思って。

上海の人口は約2,400万人。東京の1.8倍ほどの人口だ。
さぞや人で溢れかえっているのだろうと、少々憂鬱な気持ちを
抱えて降り立った。

期間中に滞在させてもらった高校時代の友人の自宅は、
閑静な高級住宅街であり、景観もサービスも行き届いている。
私のイメージする中国のイメージではないとてもクリーンな印象だ。

一日目の夜は「新天地」という若者・観光客が集まるエリアで
中華を食べて休息。
旅をするときは、あれやこれやと調べては毎日みっちりとプランをつくる
方だが、今回の旅は全て上海在住の友人にお任せ。
気分的にはらくだし、全くの予備知識がない分、どんな場所に連れてって
くれるのかワクワクしていた。

2日目。建築やデザイン、アートが見たいとだけ伝えていたので、
まず連れて行ってくれたのは中心地より少し離れた場所にある「半島1919」。
工場をリノベーションして、アトリエやデザインオフィス、デザインセンターが
集積するエリアだ。基本そのままの外観を活かしているところが良かった。

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半島1919

中国語がぺらぺらな友人にお願いして、アトリエにいた若い陶芸家に話しかけ、
どんな作風なのか、この場所の特徴、彼の想い、いろいろと語ってくれた。
とても真面目な感じの作家さんだった。辺りをぐるっと回っていると面白い建物が。
このエリア一帯の拠点となっている芸術設計センターだ。

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半島1919 センター

次に訪ねたのは、同じく工場を再生したアートスポット「M50ギャラリー街」。
ここは半島1919よりも凝縮していて、建物の各部屋には陶芸、絵画、現代アート等の
アーティストが制作活動をしていて見れるのが面白い。
英語が通じないので、交流ができないのが少々残念であった。

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M50ギャラリー街

次なる目的地へぶらぶらと歩いていると、よく目にしたのがアパートの外に
棒を延ばして洗濯物を干す風景。日本では当たり前だが、上海にはベランダというものが
ほとんどない。となると、こうやって干すしかないんだろう。
ヨーロッパのした街でもよく目にした風景だが、上海ではより生活感がにじみ出ている。

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上海の日常の暮らし(その1)

中心部へと戻って訪れたのが「田子坊」。
古い建物が残っている狭い路地空間一帯がちょっとした観光地になっているスポット。
狭い路地の両側には、お土産屋さんや飲食店がずらっと並び、
アジア・欧米の観光客でごった返している。

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田子坊の風景

私はどちらかというと「つくられた」観光スポットにはあまり興味が
惹かれない方で、生活臭漂う場所を好んで訪れる。
旅先で必ずと言っていいほど足を運ぶのが市場だ。
田子坊にも市場があった。
野菜や海産物が並べられ、買い物客もほとんどが地元の人だ。
上海の暮らしを垣間みれる。

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田子坊の市場

あとは、田子坊の路地の中で広場になっているところで、
昼間からビールやワインを飲んで友人と話し込んでいた。
夕方からはもう一人友人が合流して上海料理を満喫。
とても充実した1日であった。

翌日は少々二日酔いの残しながら、中心地から1時間ほどのところにあるスポットへ。
任せすぎたせいか、駅名やスポット名をあまり覚えていない・・・
最初に訪れたのは、書家や画家、詩人として活躍した地元のクリエイター李さんの
庭園へ。

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書家・画家李さんの庭園

中国の庭園は、日本の庭園よりも垂直性が強い気がした。
描いているのは、李さんの絵にもあった山の風景だろうか。

ここには、田子坊と同じような、よりローカル色の強い買い物ロードがあった。
決して衛生上奇麗とは言えないが、地元観光客がほとんどで、
等身大の上海を象徴する場所である。

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上海ローカルの観光地

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道ばたで売られていたキムチ

その後、辺りのお寺・庭園を鑑賞し、次なる目的地「19参Ⅲ」へ。
ここはもともと食肉工場だったところを商業文化複合施設として再生。

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19参Ⅲ(1933)老場坊 外観

建物は当時のまま活かしていて、牛舎や牛の道がそのまま残っている。
建物だけでも十分見応えのあるところ。
強いて言えば、当時どういった使われ方がしていたのかを写真で展示していると
もっと面白いなーと友人と話していた。

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19参Ⅲ(1933)老場坊 内観

屋上からは上海の風景が一望できる。
遠くには、上海の経済成長を象徴する高層マンションが建ち並んでいるが、
足下には古びた建物の等身大の暮らしが根付いている。

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19参Ⅲ(1933)老場坊 屋上からの眺め

足下の暮らしの風景をなぞってみる。
いかにも壊れそうなバイクを駆使し、家の前の路上では洗濯や食事、
昼寝、会話、子供達の遊び。みちが暮らしの交流空間なのだ。
かつて日本にもあった、じゃりんこちえの下町の世界。
いつかは高層マンションに暮らしたい、下町に暮らす人はそう夢を
描いているのだろうか。

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上海の日常の暮らし(その2)

旅のクライマックスは、上海観光のド定番の川沿いの夜景スポット。
どこにいたのだと言わんばかりの観光客の数。。。
到着すると同時に対岸の建物がライトアップ。
クラシックな建物も並んでいて、中国とは思えない。

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ド定番の夜景

最後は、この夜景が見渡せる絶景のBARでしっぽり飲んで上海旅は終了した。
料理が美味しかったことはもちろんのこと、リノベーション事例をたくさん
見れたのは収穫だった。そして何よりも、華やかな上海の一面だけでなく、
贅沢ではない等身大の暮らしを覗き、光と陰ではないが
その対比を目の当たりにしたことが一番印象に残っている。

一部の人たちの上海ではない、みんなの上海だ。

先日、祖母の米寿のお祝いで、久しぶりに実家の大阪に帰省。

私の実家は、千里ニュータウン。
1960年代から、日本最初の大規模ニュータウン開発として生まれた街だ。
一般的な故郷と呼べるような牧歌的な風景は広がっていないけど、
自分が30数年間生まれ育った街だから、新しい街であろうが
「故郷感」というものはしっかりと根付いている。

そんな私の原風景は、阪急電車の南千里駅。
その当時はなんとも思っていなかったけど、阪急電車の小豆色の車窓と
南千里駅周辺の建物や風景は、「故郷に帰ってきた」といつも実感させてくれた。

ただ、私が社会人になる頃から、南千里駅と実家までの一帯の大規模開発が
行われ、大型商業施設や大規模マンションがどんどんと立ち並び、
慣れ親しんだ風景があっという間に消えていった。

その南千里駅のシンボル的な建物「千里センタービル」が
日本建築界の巨匠 村野藤吾の設計であったことは社会人になってから知った。
リズム感があって、とっても素敵な建物だ(内観はレトロモダンで渋い)。

その村野建築さえも開発の波に飲まれて壊される危機にあると母から聞いたのは何年前だったか。
ネットで調べてみると、大阪大学の建築の先生が一生懸命に保存運動をしているようだったが、
このたび、その甲斐実らずに壊されることが正式に決まったようだ。。。

なんとも悲しい現実。壊すのは簡単だけど、壊れたらその風景は二度と戻ってこないのに。
壊れる前に一目見ようと訪ねてみた。

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村野藤吾設計の千里センタービル

プラネタリウムを観に、ミニ四駆を買いに、郵便局でお金を下ろしにいった子供の頃の思い出。
今度帰省したら、楽しかった幼少期の記憶を呼び起こしてくれるきっかけはもうない。
「ここはお父さんが生まれ育った故郷だよ」子供にそう語り継ぐ手がかりも失うことになる。

唯一、高校時代に毎日通学で使っていた南千里駅は、当時のままの姿だった。
この駅舎さえ、いつ壊されてしまうのかと思うと、さらに悲しくなる。

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私の原風景、阪急南千里駅

桃山台方面の住宅はまだ残っているものの、開発の波は一気に広まるだろう。

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千里ニュータウン、桃山台方面

気がつけば、当時新築だった実家も、南千里地区の中では最も古いマンションになった。
時代の移り変わり。免れない現実。。。

建物が壊れるということは、風景を壊すだけではなく、人の記憶さえはぎとってしまう。
村野藤吾の出身地 唐津で、尊敬する建築家 藤森照信先生がそういってたことを思い出す。

自分の故郷のまちづくりに関わりたいと最近強く感じている。
自分のルーツがなくなってしまう前に。

年度末が終わった。
独立して1年、嬉しい悲鳴であったが、今回の年度末は忙しかった・・・

地域活性化や観光の仕事が多いので自ずと年度末は忙しくなる。
年が明けて気持ち新たにというのが一般的だが、
年度末仕事が多い私としては、年度が明けた4月が本当の意味での新年。
そして4月は、Rootsを開業した時期でもある。

独立してから丸1年。
少し充電して、いろんなまちを見て、新たな年度の戦略を!と思っていたが、
現実はそうではなかった。。。
今年の暮れまで続くプロジェクトがいよいよ本格的に動き出し、
年度が明けてからも毎日慌ただしい日々が続いている。
とっても有難いことです。

ただ、忙しさにかまけて、何も充電せずに、戦略を立てずに一年が過ぎるのはいけないと、
自分に発破をかけて、移動中、時間を見つけては本を読み、これからのことをあれこれと
考えるようにしている。

そんな中で出会った1冊。
面白い仕事をしていると前から気になっていた「nendo」。
代表の佐藤オオキさんは年が1つしか変わらないが、
建築・プロダクト・グラフィック・店舗とあらゆるデザインをフィールドに、
世界を舞台に活躍されているデザイン集団だ。

彼らの思考はとっても面白いし共感する。
クライアントの能力や商品力を最大限活かすために「一歩下がる」という姿勢。
とにかくクオリティー高くスピード感を持ってプロジェクトに取組み、
提案するアイデアは目から鱗のものばかり。
視点の移動力、繋がらないものを繋げることで新たな価値を生み出す「他人丼」の考え方。
専門的になりすぎないからこそ、フラットに、新鮮に考えられるんだろうか。

アイデアを実現するために、彼らが実践する「耕す」「育てる」「収穫する」
サイクルは、私の仕事にも十分役立つものだった。

「一歩下がる」という姿勢は、地域で仕事をする上でとっても大切なこと。
単なる表層的なお化粧ではなく、社会・企業の問題を解決するプロフェッショナルとして
彼らの仕事はとっても興味深かった。
良い本に出会えたし、モチベーションがあがった。

さぁ、今年度も頑張ろう。

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怒濤の年度末もいよいよ終盤を迎えます。

独立1年目にして、本当に色々なプロジェクトに関わらせていただきました。
つくづく、人とのご縁が仕事に繋がっているなぁと感じます。

そのプロジェクトの1つ、佐世保の俵ヶ浦町のトレイルサイン&マップづくり。
私の恩師の研究室とともに関わらせていただきました。

熱心な地元の方々と、毎回熱い議論を交わしながら、
地元のお母さん達がいつもつくっていただく美味しいご飯と豊かな風景に癒されながら、
俵ヶ浦町ならではのトレイルコース「歴史遺産トレイル」ができました。

サインは九大チームと地域住民の完全手作り。
マップも地元の人たちのご意見たっぷりの「ここならでは」の道標。
30日にはそのコースのお披露目会があります。
まずは、地元による地元再発見。

私も関わらせていただくまで知りませんでしたが、
ここ俵ヶ浦半島には、俵ヶ浦町以外にもまだまだ魅力的な地域がたくさん。
この地元目線の地域づくりが、他の地域にも広がっていくといいなぁー。

こうした地域との出会いが、私の仕事の最大の幸せです。

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地元の人たちとの手作りサイン

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地元の人たちと考えて出来た歴史遺産トレイル

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